物語ることについての随筆

主に映画やドラマについて、個人的な思索

「サンドマン」――灰色の夢

この写真は東京国立近代美術館で開催中の、ゲルハルト・リヒター展で筆者が撮影したものだ。(※展示作品は一部を除いて撮影可)

 
「グレイ」と名づけられたこの作品は「無」を表現しているらしいが、「無」が「そこにある」と思うと、妙に心が落ち着く。
 
ところで、私は灰色の夢しか見たことがない。リヒターの抽象画のように色彩に溢れた夢を見る人もいるらしいが、私の見る夢はいつも、砂のような灰色だ。
 
夢はあらゆる物語の源泉になるけれど、現実がなければ夢を見ることはできない。しかし夢=物語のせいで、現実での生き方が変わってしまうこともある。ならば、夢=物語と現実は、実質的に地続きではないだろうか。
 
今回とりあげるNetflixオリジナルドラマ「サンドマン」は、夢が現実を、現実が夢を変えていく物語。
 
 

1.サンドマンとは

本作は「コララインとボタンの魔女」「アメリカン・ゴッズ」「パーティーで女の子に話しかけるには」などの映画・ドラマの原作者として知られるファンタジー小説家、ニール・ゲイマンが手掛けた大人向け漫画の実写化。
 
夢の世界を統べる王「ドリーム」ことモルフェウスは現実世界に召喚され、100年もの間、魔術師の屋敷の地下に幽閉されてしまった。彼は人間に奪われ散逸した宝石、砂の入った袋、兜(ヘルム)を取り戻し、荒廃した夢の世界を再建させ、さらに現実世界で悪事を働く「悪夢」たちを捕らえなければならない。
 
サンドマン」の名は西欧の民話に出てくる眠りの妖精(人のまぶたに砂をかけて眠らせる)に由来し、モルフェウスも魔力を持った砂を使う。
 
元々「サンドマン」というキャラクターは、スーパーマンバットマンで有名なコミック出版社DCが権利を持つヒーローで、ゲイマンの「サンドマン」はたしか3代目だったはず。(参考:サンドマン (ヴァーティゴ) - Wikipedia)
初代はガスマスクをつけた人間で、2代目は「キャプテン・アメリカ」「ハルク」などで有名なジャック・カービーが手掛けた、夢の中で戦うスーパーヒーローだ。
ちなみにカービー版のサンドマンはゲイマン版のコミックにも登場し、今回のドラマでも8話目に登場する。私は原作のこのエピソードが大好きだった(そして原作のほうがもっと怖い)。
 
ドラマ版は多少の改変はあるものの(かつてキアヌ・リーヴスが演じた『コンスタンティン』が女性になっていたり)、おおむね原作通りにしている。惜しむらくは、韻を踏む悪魔「エトリガン・ザ・デーモン」の出番がカットされてしまったこと。彼のフリースタイル・ラップが聴きたかった。
 
私はずいぶん前に原作コミックの邦訳版を古本で買って読み、数年前に手放してしまったのだが、復刊の予定はないのだろうか。なぜかAmazon Audible でオーディオドラマの日本語版が配信されているのだが、漫画なのだから絵も見たいじゃあないか普通は。
前回取り上げた「SPY × FAMILY」のように、日本の漫画も海外漫画から様々な影響を受けているというのに、「サンドマン」のような名作でさえ日本ではすぐに絶版になってしまうから、一度手放してしまうと再び入手するのが大変で困る。
 
 
ドラマ版の見どころを先に挙げておくと、地獄の王ルシファーと言葉(概念)で戦う4話目。
名優デヴィッド・シューリス演じる男が、ダイナーに集まった男女を絶望の縁に陥れる密室劇の5話目。
モルフェウスの姉「デス(死)」とともに死者を迎えに行き、デスの気まぐれで不老不死になった男と再会する、感動の6話目。
そして前述の2代目サンドマンが登場する8話目。
 
特にシリーズの後半からはスリラーや探偵ものの要素も加わり、ゲイマンらしい、奇妙で残酷なのにどこか可笑しい物語になる。だんだんと面白さが加速していくので、ぜひ最後までご覧あれ。
 
ゲイマンの作品にもっと触れたい方には、角川文庫の「壊れやすいもの」という短編集をおすすめしたい。当ブログ的には「物語に関する物語」もいくつか収録されている点でもおすすめである。
 
 

2.夏の夜の夢

原作コミックで私が特に気に入っていたのは、ドラマ版の6話でもちょっとだけ出番のあるシェイクスピアのエピソードだ。モルフェウスはまだ有名になる前のシェイクスピアと取引きをし、彼を成功させる代わりに、妖精の王のために芝居を書かせる。お察しの通り、それが「夏の夜の夢」だ。
 
モルフェウスとの約束を果たしたシェイクスピアは、妖精の王と妃、そしてパックたち妖精の前で、彼らを登場人物にした喜劇「夏の夜の夢」を上演する。人間たちが妖精の役を演じる様を見て、妖精たちがああだこうだとツッコミを入れる。
「夏の夜の夢」には劇中劇があって、職工たちが下手な演技で悲劇を演じる様を観て、貴族たちがああだこうだと論じているのだが、それと同じことを妖精たちがしているわけだ。
 
「夏の夜の夢」について簡単に説明すると、夏至の夜、妖精の王オーベロンと妃のティターニアは、ある人間の赤ん坊をどちらの小姓として側に置くかで揉めていた。
「自分の友人の子だから」と頑ななティターニアから赤ん坊を奪うべく、オーベロンは悪戯好きの妖精パックに命じて、眠っているティターニアのまぶたに惚れ薬を垂らすよう命じた。この薬を塗られた者は、目を覚ましたときに最初に見た人物に恋してしまうのだ。
目を覚ましたティターニアは、芝居の稽古のために夜の森に集まった職工の一人に恋に落ちる。しかもその職工は、パックの悪戯で頭がロバになっていた。
 
妖精の妃とロバの恋。夢から覚めても、また夢の中のような現実。
 
これと同時進行で、親が決めた結婚を拒否して駆け落ちを決めたハーミアと恋人ライサンダー、ハーミアを追いかける婚約者ディミートリアスと、彼に恋するも拒絶された娘ヘレナが真夜中の森に迷い込んでくる。
彼らの言い争いを見たオーベロンはパックに命じて、惚れ薬を使ってディミートリアスがヘレナと両想いになるよう仕向けるが、パックの間違いのせいで、ライサンダーとディミートリアスの両者がヘレナに恋してしまう。二人がヘレナを巡って争う中、恋人を奪われたハーミアはヘレナを激しく叱責するが、ヘレナは自分が皆から馬鹿にされていると思い込んで怒りだす。
 
夢から覚めたら、まるで悪夢のような現実。
 
しかし間違いに気づいたオーベロンのはからいで、彼らは再び眠りにつき、夜が明けるとライサンダーとハーミアは元通りの恋仲に、ディミートリアスはヘレナと両想いになった。全ては夏の夜の夢だった、ということにしておこう。
 
恋は人を「夢中」にさせる。片想いや嫉妬は「悪夢」のように人を苦しめる。恋は起きながら見る夢だ。恋=夢が成就すれば、人生の物語はこれまでとはまるで違ったものになるだろう。
 
 
サンドマン」の話に戻ると、このエピソードでは、シェイクスピアの一座の上演中に、彼の息子が妖精の世界に旅立ってしまう。彼は自分の作品が後世に語り継がれるようにと願い、モルフェウスがその願い=夢を叶えると、その代償として息子を失った。彼が「産みの苦しみ」を経験し、息子のように愛した物語が現実世界で語り継がれる代わりに、実の息子は夢=物語の世界の住人となったのだ。
 
「夢を叶える」とは、つまり、夢を現実にすること。夢=物語が現実との境界を失い、両者が溶けて混ざりあう。
 
シェイクスピアの現実=人生は自分の書いた物語と重なりあい、彼自身もまた物語の登場人物となって、様々なフィクションに出演するようになった。死から数世紀が過ぎてしまえば、かつて実在した人物も、いまを生きている人間にとっては妖精とほとんど変わらない。
 

3.モルフェウス

夢をテーマにした物語は多い。映画では黒澤明の「夢」や、クリストファー・ノーラン「インセプション」今敏「パプリカ」(原作は筒井康隆)など。
インセプション」のインスパイア元である「マトリックス」も仮想現実=夢が舞台だ。自分は夢を見ているんじゃないかと疑う主人公ネオは、白ウサギを追って鏡の中に入り(不思議の国のアリス、および鏡の国のアリス)、真っ白な部屋でモーフィアス(Morpheusモルフェウスギリシャ神話の夢の神モルぺウス)と出会う。
 
ギリシャ語のmorphe「形づくるもの」を意味し、英語では「変形する」の意味で使われている。「モーフィング」といえば、アニメやCGなどで物体が別のものに変化する様を表現する手法だ。似た言葉に「メタモルフォーゼ(metamorphose)」がある。夢は形を変え、変化し続ける性質を持つ。
 
ちなみにモルフェウスは鎮痛剤の「モルヒネ」の語源でもある。死を目前にした兵士が多量のモルヒネを打たれ、痛みから解放され、まどろむ瞬間の恍惚。デスは死者を笑顔で迎える。
 
人は夢の世界のようなファンタジー作品を好むが、不思議なもので、人はファンタジーにもリアリティ(現実感)を求める。例えば「ダンジョン飯」のように、魔法の世界の食事は現実世界のように作られる方が面白い。ハリーポッターはロンドン駅から旅立つ。ドラえもんのび太は、どこでもドアか机の引き出しを開けて異世界に行くし、彼らの使う未来の道具は現実世界の道具が元になっている。偶然だとしても、のび太が昼寝好きであることも興味深い。
 
とにかく、人は夢と現実が地続きであること、夢と現実の境界があやふやになることを好む。熟睡した方が疲れはとれるが、眠りに落ちる直前のふわふわとした状態が一番心地良い。
 
そして、夢を見ているときのいわゆる「レム睡眠」とは、脳の一部が覚醒している状態を指す。つまり、夢は「寝ながら起きている」ときに見るものなのだ。いや、それとも「起きながら寝ている」ときに見るものだろうか。
 
いずれにせよ、夢は現実が無ければ生まれないし、人は夢を見ることで現実を生きる力を得る。そして死という長い眠りについたとき、人は誰かが書いた夢=物語の中で永遠に語り継がれる。つまり死後の永遠の世界=天国とは、現実世界であなたと出会った、あなたを見ていた誰かの中にある物語のことだろう。
 
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夢の中でお誕生日パーティーをしよう。
 
もちろん、お友達も連れて。
 
温かい紅茶と、シナモンの薫るケーキが待っている。
 
もしプレゼントをくれるなら、
 
君をめっちゃくちゃにしてあげよう。
 
どちらが現実だったかわからなくなるくらい。
 
これが僕たち二人の、どちらの夢だったか、
もはや忘れてしまうくらい。
 
夢から覚めたなら、僕たちはもう元通りではいられない。
 
物語は書き変えられた。
 
 
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